2007年02月14日

高瀬川

高瀬川『高瀬川』という川がある。
今では踝まで浸かるか浸からないかの浅い川であるが(と言っても入れば当然濡れる)、昔はもっと水深が深かったのだそうである。
森鴎外の小説「高瀬舟」で一躍有名になった川であるが、これは元々“京都の動脈”とも言えるように、荷の運搬などに使われていたものであるらしい。
河原町通と先斗町に挟まれる、木屋町通に沿うように流れている小さな川である。

高瀬川 角倉了以顕彰碑高瀬川 沿革「川」と言っても、これは人工のものである。
その昔、京都の豪商であった角倉了以が私財を投じて掘ったものであるそうである。その為か、この「高瀬川」沿いに「角倉了以顕彰碑」(画像左)が、「高瀬川沿革」(画像右)と並んでいる。
ちなみにこれがあるのは、川沿いにある学校施設の入口近辺である。学校施設とは言え、立派な史跡であるので観光客が時折立ち止まっているのが見える。施設側も、一応は進入禁止の如く鎖を張っているのだが、一部を緩めて自由に出入り出来るようにしてあるところを見ると本当に人を拒んでいるという訳でも無いらしい。

高瀬川 佐久間象山・大村益次郎遭難の碑高瀬川 古高俊太郎邸址実を申し上げると、この『高瀬川』沿いには幕末の維新の史跡があちこちにある。私のような歴史好きには血が騒ぐ場所である。

そのうちの一部をご覧頂こう。
左が『佐久間象山・大村益次郎遭難の碑』である。幕末の維新功労者の師であった蘭学者佐久間象山と維新功労者大村益次郎が凶刃に倒れた付近とされる場所に建てられた碑である。
右が『古高俊太郎邸址』の高札である。古高俊太郎というのは、かの有名な池田屋事件(長州系の志士が新撰組に多数討ち取られた事件である。これにより、新撰組の勇名が一躍広まったと言う)を土方歳三により自白させられた長州系志士である。当時は枡屋喜右衛門を名乗り、薪炭商を営んで情報収集や志士の行動の補佐をしていたそうである。
他にも『池田屋事件址』などもある。

実を申せば、『古高俊太郎邸址』は、現在『志る幸』というおばんざいの料理屋になっている。そして、ここ『志る幸』は、私が15年来通い、今やすっかり顔馴染みとなってしまった場所でもある。
縁とは異なもの、味なもの・・・・・・と、誠に思わざるを得ない。不思議なものである。
posted by daydreamer at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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